自殺私見

 小学校の頃からの友人だったN君が自宅マンションの屋上から飛び降りて亡くなったのは99年の6月19日の深夜だった。当時ぼく達は高校二年生だった。翌日行われた通夜には小中学校の頃の彼の友達は大勢駆けつけたけれど、彼が進学した高校の生徒は二人しかいなかったそうだ。N君が高校でどういう目にあっていたのかは分からない。色々な噂を耳にしたが、噂は噂でしか無い。
 N君が飛び降りた屋上には遺書の類は残されていなかったそうだが、代りにある物が放置されていた。ニッパーだ。N君は屋上のフェンスの金網を切るために自宅のニッパーを持ち出したのだ。N君の父親にしてみれば、自分が働いて得たお金で買ったニッパーが、間接的に息子の命を奪ったということになる。
 N君の家族も友達も教師も、N君の自殺を止めることはできなかった。みんながN君を見殺しにしたようなものだ。ぼく達はみんな、間接的にN君の死の原因となっていたのだ。

 
少し、N君がどういう人だったのかを話そう。ぼくが彼と出会ったのは小学校四年生の頃だった。ぼくは転校生だった。彼はそんなぼくに人なつっこく話しかけてきてくれて、ぼく達はすぐに友達になった。
N君は体が小さくてひ弱だったので、小学生の頃からよく休み時間に乱暴な友達に投げ飛ばされていた。とても小さくて軽い彼の体は掴んで投げるには丁度良い大きさだったのだ。中学に上がっても、そんなN君の災難は続いた。最弱王者決定戦と称して、同じぐらいひ弱な生徒と無理矢理喧嘩をさせられたり、不良生徒の覚えたてのプロレス技の実験台にされたり。
ぼくや、他のN君の友達はそんなN君の姿をただ傍観するだけで、彼を助けてやれなかった。厄介な事に巻き込まれたくなかった、というのも有るのだがもう一つ大きな理由は、どれだけ酷い目にあっても彼は常に笑顔だったからだ。その笑顔に安心して、ぼく達は判断を誤ったのだ。
もしかしたら、N君が小学生の頃から笑顔の裏に押し込めてきた怒りや憎しみや悲しみといった感情が、高校二年生になったあの日、遂に暴発してN君自身を死に至らしめたのかもしれない。
もう一度言おう。ぼく達はみんな、間接的にN君の死の原因となっていたのだ。N君はぼく達全員によって殺されたのだ。その代りにN君は、ぼく達の心の一部を殺していった。ぼく達はN君の自殺によって、自分達の中にいたN君を殺されてしまったのだ。ぼくの心の中の、かつてN君がいた場所は真っ黒に握りつぶされて、今でも鈍い痛みを発し続けている。N君は、ぼくの心の一部を殺したのだ。ぼくだけでは無い。今までN君に関わってきた数え切れないぐらい多くの人の心の一部を殺して、この世から消えていったのだ。
ぼく達が心に負う痛みは、N君を見殺しにした罪の跡だ。


N君の通夜の帰り、小学生の頃よく遊んでいた友達数人とカラオケに行った。みんなで、「本来なら、この輪の中にNもいる筈なのに」と思いながら、それを口には出さずにカラオケを楽しむ振りをした。そうでもしないと、一人になった時に襲いかかってくるであろう悲しみや後悔に耐えられそうになかった。